「ATHRA(アスラ)」
出版社:毎日コミニケーションズ
連載タイトル:「CHECK UP!!」
06-2003/5月号・・・第6回・田口師永さん

「シルク・ドゥ・ソレイユ」が日本で

公演するスーパーサーカス 『キダム』。

そこで、世界のエンターテインメントに

挑戦している 唯一の日本人がいる。

彼が出演するのは

スキッピング・ロープと呼ばれる縄跳び。

想像を超えたそのパフォーマンスは、

どのようにして生み出されて いくのか。

私たちが知り得なかった

 舞台の裏側が見える。

                    
田口師永●1976年1月8日、東京都出身。

器械体操を続けるデモンストレーションや学校指導などを

行ないながら「シルク・ドゥ・ソレイユ」に自らの演技を

 収録したビデオを送り、今回の『キダム』出演が決定した。

                                       

渡辺 今日は、いろいろと見せていただいたんですけど、バックステージを見るのは初めてで、「夢工場」という感じがして…やっぱり「シルク・ドゥ・ソレイユ」ってすごいですよね。もともと、その存在を知ってたんですか?

田口 正直、知らなかったです。以前、日本で『サルティンバンコ』を公演している時に、テレビCMを見て「何かすごいことやってるな」とは思ったんですけど、実際に目にしたことはなかったんです。だから、その当時は恥ずかしながら、「シルク・ドゥ・ソレイユ」と『サルティンバンコ』の違いすら分からなかった(笑)。

渡辺 分かる、分かる(笑)。何がきっかけで『キダム』に参加することになったんですか?

田口 2年半前から縄跳びをやってたんですね。で、たまたまなんですけど、「シルク・ドゥ・ソレイユ」が縄跳びのアーティストを探してることを人づてに知って…それでオーディションに応募してみたのがきっかけでした。

渡辺 オーディションは、日本で行なったんですか?

田口 いや、ただビデオを送っただけです。

渡辺 え? そうなんだ。

田口 縄跳びのイベントをしたり、小学校に教えに行ったり、デモンストレーション的なことはやっていて、それをビデオに撮って編集したものを送りました。

渡辺 それだけで「君、採用!」ってなったんですか?

田口 送ってすぐ、というわけではなかったんですけど、待ってたら数カ月後に採用されることに決まりました。

渡辺 すごーい! 私、10年くらい前に、「シルク・ドゥ・ソレイユ」が日本で初めて公演した時に・・・・。

田口 『ファシナシオン』ですね。

渡辺 そうそう。それを観てものすごく感動して「絶対『シルク・ドゥ・ソレイユ』に入る!」と思ったんです(笑)。「人間って、こんなことができるのか」って、ものすごい衝撃があった。いわゆるサーカスとは違って、動物を使うわけではなく、その世界観がファンタジックでちょっと怪しげで…。人間の肉体も、鍛えればこんなことまでできるんだと思って、私も頑張ろうかなと考えたんですけど(笑)。

田口 毎日、そう思ってますよ。ほかのアーティストが練習するのを見て「人間の体って、こんな可能性があるんだ」って。

渡辺 本当に、涙が出る感じ。うっかりしたら「どぉー!」って。

田口 『キダム』の日本ツアーが始まる前に、1カ月半、トレーニングのためにカナダへ行ってたんですね。その時にアメリカのタンパで『キダム』のツアーをやってまして、そこで初めて「シルク・ドゥ・ソレイユ」の公演を観たんですが…もう、泣きましたね。涙がボロボロ出た。

渡辺 「すごいところに入っちゃったな」って思いました?

田口 ええ。今度は「やる側」になるんだって。採用されてから、そのすごさを実感しましたね。

渡辺 「シルク・ドゥ・ソレイユ」に入るためには激しい競争があって、オーディションを何回も受けなければならないという話をよく聞くんですけど・・・・。

田口 まず、トレーニングをさせてもらうためのオーディションがあったりするみたいですね。

渡辺 へえー、そうなんだ。

田口 オリンピックの競技に出るような人が、トレーニングをするためだけにオーディションを受けることもあるそうです。で、たとえトレーニングに参加できたとしても、公演の契約ができないと、また普通の生活に戻らなければならない。

渡辺 そこに入れたのは、すごいですよね。

田口 いや「運」も大きいですよ。

渡辺 タイミング、とか?

田口 はい。たまたま日本ツアーがあって、たまたま縄跳びのアーティストを探していたから・・・・。

渡辺 今回の公演で、参加している日本人は一人だけ?

田口 そうですね。「シルク・ドゥ・ソレイユ」に所属しているのは3名いて、『キダム』のようなツアー形式の公演に参加するのは、僕が日本人で初めてみたいです。公演するテントには、参加アーティストの出身国の旗が掲げられてるんですけど、そこに日本の国旗があると「そうか、僕がいるからなんだ」って。

渡辺 嬉しいですよね。

田口 すごく。

渡辺 ツアーに参加する前、カナダに行ってた時には、どんなトレーニングをしてたんですか?

田口 いろんなアーティストと絡みつつ練習するんだろうな、と思って行ってみたら、スケジュールの欄に「alone」と書いてあって…「え? 一人?」って(笑)。

渡辺 誰かと技の練習をするとか…。

田口 ないです(笑)。自分で考えてやるしかなかった。

渡辺 縄跳びの技というのは、自分で考えてやるものなんですか?

田口 もうすでに存在する技が300種類くらいあります。今は、そのうちの90?はできるようになってるんですが、それ以外に、自分だけの技というのも、いくつかあります。たとえばバック宙しながら5重跳びするやつとか。

渡辺 想像できないです(笑)。

田口 ははは。縄跳びのトレーニング以外だと、ダンスクラスとか表現力を鍛えるクラスとかがありました。あとは、契約の事務手続きをして、衣装のサイズを合わせたりしてましたね。

渡辺 最終的には『キダム』の中で、自分の役割を与えられることになると思うんですけど、その練習というのは…?

田口 カナダでは、ほかのアーティストと合わせたり、リハーサルをすることが、まったくなかったんです。僕の振付はどうなるのか、全体的な演出を知ったのが…公演スタートの3週間くらい前です。

渡辺 えー!? そんなの、すごく不安になりますよね。『キダム』という一大プロジェクトなのに、一人で練習させられて、残り3週間で演出を頭に入れなければならない、なんて。

田口 最初は、どう動いていいのか分からなかったですよ。ほかのアーティストは、それまでも『キダム』の公演をしてるので、練習を撮ったビデオを見ると僕だけがぎこちなかったりする。今でこそ、うまくいくようになりましたけど(笑)。

渡辺 「ははは」って笑ってるけど(笑)、すごいことですよ。そんな短期間で…言葉の壁もあったでしょうし。

田口 こんなふうに、普通に話すことはできないですけど「こうして欲しい」とか「こうしたい」とか、意志を伝えられるようにはなりました。なんとかなるもんですよ(笑)。

渡辺 縄跳びの世界をよく分かっていないんですけど、これまではどんな形で活動をしてたんですか?

田口 2人でチームを組んでたんです。僕の相棒が先に縄跳びを始めてて、彼に誘われたのが縄跳びを始めるきっかけでした。いろんな技を披露してもらったり、ビデオを観せられたりして、「縄跳びでこんなことができるのか、すごいな」と思って。

渡辺 縄跳びの「競技」というのはあるんですか?

田口 日本ではないんですけど、世界大会というのがあります。だから、縄跳びを始めれば、いきなり世界を目指すことになるので、それもすごく魅力だったんですよ。

渡辺 大会はどんな内容なんですか? 技を見せて採点されるとか。

田口 まず、個人とチームそれぞれで出場する大会があります。個人の大会では、1本のロープを使って、30秒で何回跳べるかとか、三重跳びを失敗しないでどれだけ跳び続けられるかとか。あとは「フリースタイル」という演技の種目があって、自分なりにいろんな技を組み合わせて表現します。チームの大会だと、ロープの数が増えて、数人で種目をこなす感じですね。

渡辺 それで、世界一を目指して活動してたんですね。

田口 はい。海外では、縄跳びのトップレベルが集まるキャンプ、日本で言うところの合宿が行なわれるんです。僕たちもそこに参加することになったんですけど、その時に、キャンプを組織する人から今回の『キダム』の件が舞い込んできたんです。

渡辺 ほんと、運が強いというか引き寄せるというか…。でも、今までやっていた競技としてのストイックな縄跳びと、『キダム』で求められる芝居的なものとは違う気がするんですが…。

田口 競技の中にも「フリースタイル」という演技種目もありましたし、並行して縄跳びのデモンストレーションの仕事をしていたので、自分ではそれほど変わった気はしてないです。もともと「縄跳びでこんな表現ができるのか!」という驚きから、縄跳びを始めることになったので。

渡辺 表現して「魅せる」という意味では、シンクロナイズドスイミングとか、バレエとかに近い感じですかね。

田口 そう思います。

渡辺 以前から体を使って何かを表現したい、という気持ちはあったんですか?

田口 体を使わないにしても、例えばホームページをデザインする仕事をしたこともあったんですけど、自分の中の何かを表現したいと考えてました。趣味として写真を撮ったりしてるんですけど、やっぱり今は、縄跳びをすることで一番、自分を表現できてるな、と思ってます。

渡辺 じゃあ、これからも「シルク・ドゥ・ソレイユ」の一員として、日本だけじゃなく世界ツアーにも参加して…。

田口 そうなりたいですね。一年ごとの契約になってるので、また次のチャンスをもらえれば、ぜひ。

渡辺 そうなのか。公演によって田口さんが登場する「スキッピング・ロープ」という演目が、なくなる可能性もあるんですよね?

田口 ありますよ。だから、ほかの種目にも興味を持って、トレーニングしているうちに認められるというケースもあります。

渡辺 逆に、縄跳びを使った新たな演出とかを提案することもできるんですか?

田口 できると思います。ぜひ、そうしたいですね。

渡辺 体重管理とか、何か気をつけてることはありますか?

田口 特にないです(笑)。

渡辺 ないんですか(笑)。

田口 もっといろいろな制限をされるのかと思ってたら、まったくないんです。バックステージにはダイニングがあって、アーティストはそこで食事をするんですけど、メニューも豊富だし、デザートも毎日違うものが出て、好きなように食べてます(笑)。

渡辺 でも、あれだけ動いていれば太ることもできないですよね。

田口 一回だけ、太ったことがありました。「おっ、ズボンがきついな」って(笑)。まあ、でも多少は考えますよ。食べ過ぎないようにとか、野菜を摂るようにしようとか、その程度ですけど。

渡辺 体力を維持するために、それほど、食事制限とか厳しい管理をする必要はないんですね。

田口 そうですね。まだまだ成長段階にあるので、それほどは必要ないと思います。それと、カナダに滞在してた時に、持久力を測るテストを受けたんですね。そしたら、それまで同じテストを受けた「シルク・ドゥ・ソレイユ」のアーティストの中で、一番いい記録が出たらしくて…けっこう体力あるんだなって(笑)。

渡辺 公演をやっていけば、もっと体力もついていきますよね。

田口 まだまだ、これからです。

渡辺 日本の公演が終わったら、今度は海外でもぜひ、活躍して欲しいですね。

田口 契約しだいですけど、可能性はあります。海外を回る生活ができるかもしれない、なんて今までは思いもしなかったです。

渡辺 海外だったらもちろん、今もそうでしょうけど、家に定住せずに長い期間、公演に参加しなければならない状況は、ストレスにはなりませんか? 公演が毎日のようにあって、日によっては2回出演しなければならなかったり。

田口 辛くはないですよ。自分自身も楽しんでるし、その楽しさをお客さんにも伝えたいという気持ちがあるので。

渡辺 毎日ホテルと会場の往復だけだったりするんですか?

田口 公演のある日はそうですね。でも休みの時は、ほかのアーティストとは違って街中も知ってるから、渋谷に行ったりしてますよ。みなさんが休みの時にするような普通の過ごし方をしてます。

渡辺 公演がある日に、調子がよくないな、と感じることはありませんか?

田口 腰が重いな、という日があったりしますけど、それでもやらなければならないし…やってみて、お客さんの反応がいいと体のキレが増したり(笑)。

渡辺 サービスしちゃおっかな、とか(笑)。

田口 はい(笑)。友達が観にきた時に、おもいっきり名前を呼ばれた時があって、一瞬ですけど、宙返りしながら友達の方を向いたりしました。

渡辺 けっこう余裕ありますね(笑)。

田口 最初の頃は、お客さんの反応なんて全然分からなくて、自分が演技をすることで精一杯でした。でも、やっていくうちに多少の余裕は出てきましたね。

渡辺 縄跳びが上達するためのトレーニング方法というのは、やっぱり技を練習していくことが中心になるんですか?

田口 そうですね。まずは基本的な技をできるようにして、次に、技と技を繋げて組み合わせていく。あとは二人、三人と人数が増えれば、どんどん技のバリエーションは増えていって、限界がないというか…やろうと思えば、本当にいろんなことができるので終わりがないですね。

渡辺 ここまで縄跳びにのめり込んだのは、何が魅力だったんですかね。

田口 以前に、体操競技を長い間やってたんですが、やっぱり限界というのも見えてたんですね。だから、会社勤めをしていた時期もあって…で、縄跳びと出会った時には、目の前に「世界」があって、それが魅力だったのがありますね。あとは、競技的なものと並行して、表現を大切にするデモンストレーションが楽しかったり、人に教えることも面白かったりしたので、どんどんハマっていったという感じです。

渡辺 縄跳びの動きのベースはできていたんですね。だから、練習をすれば比較的早くうまくなっていったということも…。

田口 小学生の頃、縄跳びが得意だったというのもあるかもしれません。でも以前、小学校に教えに行った時に、小学校時代の僕よりもセンスがあるなって子がけっこういましたけどね(笑)。

渡辺 演技を見ると、実はものすごく難しいものなんだろうけど、あまりにも軽やかに縄跳びの技を披露してるので、私にもできそうとか思えるんですよね。きっとそれを見て、ちっちゃい子供たちが「縄跳びをやってみたい」とか「『シルク・ドゥ・ソレイユ』に入りたい」とか思うんでしょうね。

田口 やっぱり「面白そう」と思うところから入っていきますよね。

渡辺 私も「『シルク・ドゥ・ソレイユ』に入ろうかな」って本気で思ってたんです(笑)…そういうの、ありますよね。夢を持てるというか。

田口 何年かして、僕がまだ縄跳びを続けていて、そこに僕の演技を観たから縄跳びを始めたという子がやってきて、その子に教えることができたら…すごく嬉しいですよね。

 
「ATHRA(アスラ)」
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05-2003/4月号・・・第5回・大村詠一さん

この日見せてくれた“世界一”の演技は、息をのむほど見事だった。
その笑顔からは想像に難いエアロビックの苛酷さ、小児糖尿病との闘い、
そして将来の夢。
高校2年生、大村詠一の素顔に迫る。


大村詠一●1986年2月7日、熊本県出身。
4歳からエアロビックを始める。
1999年のSUZUKI JAPAN CUPでトリオ優勝。2000年の同大会ではペア、トリオともに優勝。
2002年SUZUKI WORLD CUP、ユースの部バーシティで世界一となる。
現在、熊本県大津高校の2年生。
渡辺 惚れましたよ、あまりの素晴らしさに。カッコいい!

大村 ありがとうございます(笑)。

渡辺 テレビで大村君を初めて見たのが、2、3年前かな? その時に、なんて笑顔が素敵なんだろうと思ったのと、その笑顔とはまったく逆で、なんて過酷な動きなんだろうと、競技そのものにもびっくりしてしまって。何年前だろう……ワールドカップと呼ばれる大会だったのかな。

大村 僕は、ワールドカップには、まだ1回しか出たことがないです。

渡辺 それは昨年の?

大村 はい。昨年、ユース部門が新設されて、出ることができました。だから2、3年前というと、国内の大会に大人の方たちに混じって出場してた頃だと思います。

渡辺 そうだったのか。で、その時に大村君が「世界大会でチャンピオンになりたい」と言ってたんですよ。私は、その笑顔にコロッとやられて(笑)、「頑張れー!」と思ってました。

大村 ははは。

渡辺 小さい頃からエアロビックをやっているんですよね。

大村 母がインストラクターをやっていて、僕が4歳の時にスタジオに連れられていったのが、きっかけですね。最初は「女の子がやるスポーツだ」と思ってたんですけど、見てたら楽しそうだったので始めました。で、才能がなくてですね・・・・。

渡辺 え? 才能がなかったの?

大村 今もないと思ってるんですけどね。始めた頃は、発表会があると「詠一君は一番後ろで」という感じでしたよ。隠れてやるというか(笑)。

渡辺 そうだったんだ。「鳴り物入りで登場」ではなかったんだ。

大村 最初の頃は競技としてではなくて、フィットネスなどでやる、いわゆるエアロビクスをやってたんです。競技エアロビックの大会に初めて出場したのが小学5年生の時で、その頃は予選落ちもしたし、全国大会に出ても表彰台に上ることはなかったんです。

渡辺 じゃあ途中で、例えば野球をやりたいとか、友達と遊ぶ方が楽しいと思ったことはなかったの?

大村 エアロビックと平行して、いろんなことをやってましたよ。小学生の時は、同級生が10人くらいで、全校でも70人弱の小さい学校にいたんですね。だから、部活といってもサッカーとかソフトボールとか卓球とか、もういろいろやりましたよ。

渡辺 でも、エアロビックは特別だった?

大村 はい。大会に出場したら、個人の演技はそれなりにできたんです。それが嬉しくて競技にのめり込むようになって、次、次と頑張っていって、いつの間にかジャパンカップに出場するようになって……。

渡辺 今では、ユース部門で世界一ですもんね。

大村 大会に出るようになってから3年間は、一般の部で身長差30?なんてところで頑張ってたんですけど、4年目には国内大会のジャパンカップでユースの部ができて、そしてワールドカップでも同じ部門が新設されて……しかも優勝できたから、すごく嬉しかったですね。

渡辺 大人の中でずっとやってきた、ということが自信につながったんですか。

大村 大会までのモチベーションの上げ方とかをうまくできるようになったのは、やっぱり大人に揉まれたおかげだと思いま すよ。

渡辺 エアロビックの練習は、どんなことをするんですか。

大村 さっきウォーミングアップでやった腕立て伏せとかの「基礎トレ」と、あとは踊り込むことですね。

渡辺 マシンを使ったトレーニングは?

大村 ダンベルを使って手首を鍛えるくらいで、ほとんどやらないですね。スタジオが田舎にあるのでジムはないですし、マシンで鍛えた筋肉は重くなってしまうので、エアロビックには向いていないと思ってます。だから実際の動きの中で体を作っていくんです。

渡辺 片手で体を持ち上げたり、エアロビックの動きは、すごく難しそうに見えるんですけど・・・・。

大村 やっぱり、回数をこなすことが大切ですね。片手でできないなら、まずは両手をついて10回を数セットやるとか。小さい頃は、大会までに自分の振り付けを100回踊ったりしてました。今は、振り付けの難度が高くなってしまったので、そこまではできないんですけど。

渡辺 これをやろうって自分で決め事を作って、そして実践するには気持ちが強くないとできないと思うんだけど、子供の頃から自然にできてたんですか。

大村 一度、反抗期というやつがあったんですよ。

渡辺 みんな、あるよね。

大村 僕の場合、2、3日で終わったんですけど……。

渡辺 早っ(笑)! それはいつ頃?

大村 中学一年生の頃です。サーキットツアーといって、一年に8カ所くらい各地を転戦するんですが、その時は横浜で大会がある直前だったんですね。練習の時に、まったくやる気が起こらなくて。怒られても泣きじゃくるだけで、隅っこの方で小さくなってた(笑)。そんな状態で大会に出場したら、いつもできることができなくて。ショックでしたね。もう「ごめんなさい!」って感じで、それから反抗することはやめました。

渡辺 その時は、何が嫌だったの?

大村 いや、分からない。何か嫌だった。

渡辺 そうだよね。そんなもんかもね。

大村 その時のビデオを見ると、恥ずかしいですね。この程度のレベルで文句を言ってたのかと思うと。でも、今の演技を何年後かに見ると、また「バカみたい」と思うんでしょうね。

渡辺 そうやって、成長していくのが分かると面白いんじゃないですか。

大村 そうですね。成長しなくなるといけないので、頑張りたいです。

渡辺 病気が分かったのはいつだったんですか。

大村 小学二年生の時です。誕生日の次の日でした。

渡辺 その時、病気に対しての「理解」はできたんですか。

大村 担当医の先生が、糖尿病について分かりやすいように絵本で説明してくださって、とにかく注射を打たなきゃいけないことは分かったんですけど……小学2年生の頭には難しかった。入院が1カ月とちょっとかかって、ニ年生の3学期は、ほとんど学校には行ってません。けっこう長かったですね。それで、とにかく言われた通りに血糖値を測って注射をして、決められた食事をすることになって。

渡辺 最初に分かった時は、どんな状況だったんですか。

大村 風邪をひいた、と思っていたんです。トイレに行く間隔が短かったり、水をとにかく飲みたかったり。で、誕生日にケーキを食べていたんですけど、いつもはバクバク食べるのに、高血糖の状態だったらしくて、あまり食べることができなかった。心配になって次の日、病院に行ったら糖尿病だということが分かりました。

渡辺 糖尿病というと「成人病」というイメージが強いんですが……。

大村 小児糖尿病は?型といって、成人病のそれとは違うんですね。インスリン依存型とも言われていて、食事療法だけではなく、インスリンの注射も打たなければならないんです。風邪のウイルスが原因になっていると言われることもありますけど、原因は完全には分かっていないようです。

渡辺 対処法としては、自分自身で注射を打たなければならない……。

大村 はい。僕の場合は、一日に5本打ちますけど、数は人によって違います。担当になる医師の考え方によって変わってくるんです。僕の場合も、最初の頃は食事の量を少なくして、注射の量も少なくしてたんですけど、中学一、二年の頃にまったく身長が伸びなくて、しかも痩せていたんです。このままじゃいけないんじゃないかと考えていたら、福岡にいる、ご自身も糖尿病を患っている先生と出会って……それからは、食べたいものを食べて運動もして注射もして、という感じになりました。

渡辺 激しい運動をするのは控えた方がいい、という話も聞くんですけど、運動と病気のバランスを取るのは難しくはないんですか。

大村 運動をやめた方がいいと言われる方もいれば、やった方がいいと言われる方もいて、よく分からないですね。

渡辺 でも、今の先生に出会って、運動をやっても問題ないと言われて……気持ちが楽になったということはありますか。

大村 すごく楽になりました。それまでとは気持ちが全然違います。

渡辺 それまでは糖尿病と、どう向き合っていたの?

大村 とにかく隠そうとしてました。自分が糖尿病であることを、なるべく人に言わないようにして。最初は隠すも何も、すごく暗くなってたから話す気になんてなれなかった。

渡辺 私が高校生の時に、糖尿病の女の子がいたんですね。彼女もやっぱり隠していて。で、私の家に泊まりにきた時があって、彼女が不二家のペコちゃんの缶ケースを忘れていったんです。何とはなしに中を見てしまったら注射器が入っていて……正直ドキッとしてしまって。当時は糖尿病を理解してたわけじゃないし、知らない人が注射器を見れば、そうなってしまうと思うんですね。周りの人がそんな反応をするのが、彼女は嫌だったんだろうなあと……。

大村 やっぱり、隠されている方もたくさんいらっしゃると思います。

渡辺 大村君は、今はこうやって話をしてくれてますけど……。

大村 この病気になって9年くらいになりますし、けっこう慣れましたね。今の大村詠一があるのも、エアロビックと糖尿病の両方に支えられてきたからだと思っているんです。両方があったから、皆さんに知られるようになったし。だから、逆に糖尿病がなかったら、どうなるんだろうとは思いますね。

渡辺 そんな気持ちになれた、きっかけのようなものはありますか。

大村 やっぱり、多くの人と出会えたことです。入院した時には、いろんな病気の方がいたんですね。交通事故で頭をケガした方がいたり、同じ立場というか、同じように病気やケガをされてる方に優しくされて、勇気づけられたというのもあります。学校の先生にも恵まれて、「何で隠す必要があるんだ」って、一緒に紙芝居を作ってみんなに説明に行こうと励ましてくれたり。あとは取材に来てくださった方と、いろいろお話ができたというのもあります。病気にならなければ、エアロビックをしてなければ会ってないだろうという人がすごい数になっていると思うんです。会った方々に勇気づけられたから、エアロビックで世界の頂点を目指そうという今の自分がいるんです。

渡辺 大村君が、世の中にどんどん知られていけば、糖尿病に対する理解も深まっていきますね。

大村 そうなって欲しいです。「注射」というと特別なイメージがありますけど、飲み薬と対処法が違うだけだし、注射さえ打てば普通の人と変わらないんですよ。

渡辺 今は、運動をしていてもまったく問題はないんですか。

大村 たまに、糖分がエネルギーとして消費されることで低血糖になって、体がだるくなる時もあります。そんな時は、チョコレートとかを食べたりします。大会の時は、わざと高血糖にしておいて、ウォーミングアップをしてベストの状態にもっていくようにします。

渡辺 血糖値が下がりすぎてしまうことはないんですか。

大村 大会で倒れたことが1、2回ありますね。緊張すると低血糖になりやすいんです。最近はなくなりましたけど。

渡辺 自分でコントロールできるようになったんですね。

大村 僕の場合は、症状を自覚できるからいいんですけど、人によってはそれができない場合もあるんです。だから、エアロビックの大会に限らず、低血糖になって突然倒れてしまうという方もいると思うんです。そういう意味でも、周りの皆さんには糖尿病を理解していただいて、ちゃんと対処もしていただけると嬉しいですね。

渡辺 エアロビックで世界一っていうとすごいんだけど、実は普通の高校生なんですよね。学校は楽しい?

大村 けっこう楽しいですよ。

渡辺 すごくモテそうだよね(笑)。

大村 そんなことはないですね(笑)。

渡辺 大会とか、女の子が見にきたりはしないの?

大村 地元から遠い場所でやることが多いので、あまり多くないんですけど、たまに熊本でやることもあって、その時はクラスのみんなで見にきてくれたりとか。でも、地元でやるのは緊張しますね。

渡辺 知ってる人に見られるのは、緊張するよね。大村君の競技を見た友達からは、どんな反応があるの?

大村 「やろっかな」とか。でも実際にはやらないんですけど(笑)、学校で動きをマネしたりとか、面白いですよ。

渡辺 今は何をしてる時が一番楽しい?

大村 今は……一人でいると、どうしても今度の4月にあるワールドカップのことを考えちゃうんですよね。だから、自分のじゃなくて、もっと上のランクにいる人たちのエアロビックのビデオを見ているのが楽しいですね。ただのエアロビック愛好者として見ることができるので、気楽なんですよ。学校はテストなんかがあって大変ですけど、楽しいのは楽しいですね。

渡辺 でも気持ちの中では、今は学校よりもエアロビックの比重が大きい?

大村 本当は同じくらいにしたいんですけど、ワールドカップが終わるまではエアロビックになっちゃいますね。昨年は優勝できたんですけど、今でも「世界チャンピオン」という実感はないんです。だから、また今回もチャレンジャーとして頑張りたいです。しかも新年が明けて、おみくじを引いてみたら「後ろ向きにならないように」と書いてあったので、攻めていくしかないですね(笑)。

渡辺 エアロビックの競技のレベルは年々上がってきてるんですよね?

大村 そうですね。例えば、体操の選手がエアロビックに転向してくるケースも増えていたり……でも、それに負けないように頑張りたいと思ってます。

渡辺 今、特に気をつけてトレーニングしていることはありますか。

大村 「エアロビック」と「技」をスピーディにつなげるようにしたいと思っているんです。体が小さい分、速さで見栄えを出していきたい。あとは、柔軟系が苦手なので克服したいですね。

渡辺 東京に出るとか海外に行きたいとか、地元を離れることは……?

大村 のんびりした性格なので、田舎の方が合ってるんじゃないですかね。もともと、熊本から世界チャンピオンになりたい、というのもあったし。将来も熊本でエアロビックを教えて、自分の生徒がまた世界チャンピオンになってくれたら、なんて考えてます。

渡辺 将来の夢としては、エアロビックだけを続けていくわけではないんだよね?

大村 エアロビックを続けるために数学の教師になりたいんです。

渡辺 数学が得意なの?

大村 勉強している中では一番好きです。こうやって公言したからには、もうやるしかないですよね。踊れる数学教師を目指して(笑)。

「ATHRA(アスラ)」
出版社:毎日コミニケーションズ
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04-2003/3月号・・・第4回・楢崎正剛さん
日本代表のこと、
ゴールキーパーというポジション
そして2003年からの
新たなスタート。
静かながらも明確な意志を持ち、
前進し続ける楢崎正剛の
素顔とは?

楢崎正剛●1976年4月15日、奈良県出身。
1995年、奈良育英高卒業後、
横浜フリューゲルスに入団。
1999年名古屋グランパスエイトに。
2002年、W杯では日本の守護神として
ゴールを守った。
無駄のない正確なキャッチングには定評があり、
空中戦、足元へのシュートにも
強さを発揮する。

渡辺 今日は、練習をちょっと見させていただいたんですが、楢崎さんはあまり動いていなかったという印象が(笑)・・・・。

楢崎 それは多分、最後だったから(笑)。

渡辺 どんな内容の練習だったんですか?

楢崎 試合の直前なので、フリーキックとかコーナーキックのセットプレーの練習でした。まあ、攻撃の練習のときは、僕は何もすることがなくて、じーっと寒さに耐えてるだけなんですけど。

渡辺 最初の方は、どんな練習をしていたんですか?

楢崎 僕はキーパーなんで、(他のポジションの選手と)分かれてやるんです。

渡辺 キーパーの練習というと?

楢崎 飛んだり跳ねたりの繰り返しですね。シュートを受け続ける。

渡辺 割と単調な練習が多いんですか?

楢崎 単調にならないように、キーパーコーチがメニューをいろいろ考えてくれているんですけど、それでもやっぱり一年も続ければ、同じことをやることになる。やってることは、ほとんど「基本」やから。

渡辺 「基本」ばっかり?

楢崎 どのポジションでもそうですけど、特にゴールキーパーは「基本」をしっかりやらないといけないと思います。

渡辺 楢崎さんのイメージがそうなのかもしれないけど、ゴールキーパーって「冷静」じゃないとできないのかなって、とても思うんですね。ほかのポジションのように、走り回って熱くなるという感じではなくて、その場にいて、冷静に判断をしなければならないというか・・・・頭が良くないとできないポジションなんじゃないかなって。

楢崎 頭がいいかどうかは分からないですけど(笑)、冷静でいることは大切です。ゴールキーパーは、土台なんですよね。だから、チーム全体に与える影響が大きい。ただ、冷静でいる反面、周りを鼓舞するというか勇気づけるのもキーパーの仕事だから、感情を見せるべき時は見せます。そのバランスが大切ですかね。

渡辺 味方が攻めている時は、どうしてるんですか? 自分のところにボールが来ない方がいいわけだから「なるべく向こうの方でやってて」とか考えるのかなって思うんですけど(笑)。でも、攻めの時も守りの時も、試合をずっと見守らなければならないわけですよね。

楢崎 たまに「ふっ」と気を抜いたり・・・・。

渡辺 するんだ(笑)。

楢崎 やっぱり人間だから、ずっと集中するのは難しくて(笑)。でも、攻める機会がいくら多くても、相手の一回だけの攻撃でやられてしまったら台無しなので、味方が攻めている時から、準備をしておかないといけないですね。

渡辺 キーパーって、ものすごくプレッシャーがかかりませんか? 点を決められると、まず「何だよ、キーパー」って思われちゃうじゃないですか。ちゃんと見れば、ほかの部分がダメだったから、とか分かることも多いと思うんだけど。

楢崎 失点をしたら、責任をすべて負わされるほどではないけど、そう見られることは多いですよね。でも、僕は図々しく「チーム全体の責任」と考えてますけど(笑)。

渡辺 サッカーを始めた頃から、ポジションはキーパーだったんですか?

楢崎 最初は、特にこだわりはなくて、いろんなところをやってましたよ。

渡辺 小学校の頃からキーパーを始めたとお聞きしたんですが・・・・。

楢崎 4年生の頃からです。

渡辺 自分から「やりたい」と思って始めたんですか?

楢崎 体が大きかったから「やってくれ」と頼まれた感じでしたね。今では、「キーパーをやりたい」という子が増えたと聞きますけど、僕らがサッカーを始めた頃は、キーパーはたいがい、体が大きいという理由で選ばれてたんですよ。

渡辺 それから、ずっとキーパーですよね。

楢崎 小学生の頃は、ほかのポジションをやっても、ある程度はできてたんですけど、中学の終わり頃になると、通用しなくなって……やっぱりキーパーに向いてるのかな、と思って。ボールを捕ったり投げたりするのが得意だったのもあるし、走るのが苦手なんですよね、スタミナがなくて(笑)。

渡辺 そもそも、サッカーを始めた理由は何だったんですか? 野球かサッカーか、という選択があったりとか・・・・。

楢崎 当時、野球よりもサッカーをする人の方が多くなってきてたんですよ。それで、友達もやっていたし、流されてというか。

渡辺 『キャプテン翼』に影響されて始めた、という人の話も多く聞きますよね。

楢崎 多いですよね。というか、僕もそうなんですけどね。

渡辺 『キャプテン翼』を見てサッカーを始めたとか、『巨人の星』を見て野球を始めたとか、漫画が原動力になって、それがいずれプロにつながるというのは、すごいことだなって思いますよね。

楢崎 プロを目指してた、というわけではなかったんですけどね。でも、今でこそテレビで海外のサッカーも観ることができますけど、その頃はほとんど情報源がなかった。だから、「これは漫画の世界だから無理やろ」なんて思いつつ、みんなで漫画に出てくるシュートを真似してました。

渡辺 職業としてサッカーを選ぶという意識はなかったんですか?

楢崎 知らん間になってたというか……先のことをあまり考えずに生きてきたんです。普通に勉強していれば、ほかの道もあったんでしょうけど、「サッカーが好きだから、まあいっか」という感じで進んでいったんが、こうなってます。

渡辺 「こうなった」って、すごいことですよ(笑)。日本代表だし。

楢崎 そんなもんですよ。

渡辺 「天才」だったの?

楢崎 どう考えても違いますね(笑)。

渡辺 でも、何かを選択するということも才能だと思うんですね。流されて、というのもあるんだろうけど、自分が進む道を自然と選べてしまうというか。「選んでいる」という自覚はあったんですか?

楢崎 小学校から中学校、高校って進んでいくうちに、責任というか「自分で選んだから頑張らなあかん」という思いは強くなっていきました。高校を卒業してプロの世界に入ると決めた時は、特に「真剣にやらんとなぁ」と思って。親もけっこう心配してたし。

渡辺 楢崎さんがプロになったのは・・・・。

楢崎 もう、8年前になります。

渡辺 その頃だと、プロ野球選手といえば、職業としての一般的な認知というか、安心感のようなものがあったと思うんですけど、プロサッカー選手だと「大丈夫?」とか心配はされなかったんですか?

楢崎 そうなんですよ。今だったら「遠回り」というイメージなんですけど、僕がプロになることを決めた頃は、大学を出てからでも遅くない、という雰囲気はありましたよね。親も、言葉にはしなかったですけど、やっぱり大学に行って欲しいんやろうなって感じましたし。だから悩みましたけどね。

渡辺 プロになった頃から、例えば2002年にはワールドカップがあったり、サッカーがものすごく盛り上ってきている今に至るまで、サッカーに対するモチベーションというのは変わらないものですか?

楢崎 その時その時で目標は変わります。プロ入りした時点では、「Jリーグの試合に出るぞ」とか「レギュラーになるぞ」とか、今だったら代表の試合に出られる立場になりましたけど、別の試合、次の試合と欲が出てくる。満足しないんですよね。ワールドカップに出たから、それで終わりということもない。だから、モチベーションが落ちるとか、そういうのはないですね。

渡辺 海外でプレーする選手も増えてますけど、楢崎さんはいかがですか?

楢崎 正直、やってみたいという気持ちはあります。ただ、単に海外に渡ればいいというわけではないと思うんです。行ったことによって、すごくプラスになることもあるだろうし、そうじゃないこともある。だから、慎重にはなりますね。

渡辺 国際試合で海外のトップの選手と戦って、何か「違い」を感じることはありますか?

楢崎 自分も、その場で実際にプレーする立場になったんですが、「世界との差」を以前ほどは感じなくなりました。でも、日本代表はまだまだ伸びている途中のチームだと思うし、世界のトップと戦う経験もやっぱり少ない。一番違うのは、メンタリティの部分かなと思います。ギリギリのところで、どっちに転ぶか分からない試合で勝ちにつなげる集中力とか踏ん張りとかが足りないのかなと。もちろん、日本人選手が手を抜いているというわけではないんですけどね。

渡辺 何が違うんでしょうね。食べるものが違うのかな(笑)。サッカーだけじゃなくて、ほかのスポーツでも同じだと思うんです。技術力も向上してるんだけど、メンタルで負けてしまう。

楢崎 環境の違いはありますよね。ある国では、本当に貧しくて、サッカーで家族を救うという選手もいるし。とはいっても、それを日本人が真似しようとしてもできることじゃないですからね。

渡辺 「満たされている」ことが、特にいけないことではないですしね。

楢崎 そう思います。

渡辺 どうやって、「世界との差」を埋めていったらいいんでしょう?

楢崎 もちろん、ほかの国の選手とは違うものなんだろうけど、数をこなして「経験」を積むしかないと思います。

渡辺 私は、ワールドカップくらいしか観ない「にわかサッカーファン」なんですけど、それでも、日本のサッカーが進化しているのをすごく感じるから、面白いですよね。これからが、本当に楽しみだなぁと。

楢崎 でも、ずっと伸びてるだけじゃないですけどね。ほかの強豪国を見ても、「良くない時期」はあって、すぐ来るわけではないと思いますけど、そういう時期は日本にも多分、来るんじゃないかと思いますよ。

渡辺 代表の監督が、トルシエさんからジーコさんになって、何か変わりましたか?

楢崎 「普通」に戻ったことですかね。

渡辺 「普通」?

楢崎 前は、あれしちゃダメ、これしちゃダメというのが多かった。

渡辺 例えば、どんなことですか?

楢崎 合宿生活で新聞読んじゃダメとか。

渡辺 それは、代表に関する記事をいちいち気にするな、ということ?

楢崎 そう。あとは、携帯電話をこういう時は使っちゃダメとかね。

渡辺 選手たちの不満は爆発しなかった?

楢崎 慣れてきて、なんとも思わなくなりましたね。それが、ジーコ監督になって、朝食の時に新聞が置いてあると、普通のことなんだけど「なんであんねやろ」って違和感がありました(笑)。あとは、ホテルにカンヅメになることもないし・・・・。

渡辺 そうすると、自由な分、自分たちでコントロールできる強さを持たなければなりませんよね。

楢崎 そう思います。

渡辺 生活面だけじゃなくて、練習とか試合とかは、何か変わりましたか?

楢崎 トルシエ監督の場合は、まず戦術があって、それに合わせて選手を選ぶという感じでしたね。だから、いい選手でも選ばれない場合もあって・・・・。でも、代表の合宿に呼ぶとか、若い選手を育てることはうまかったと思います。

渡辺 楢崎さんに求められることは、何か変わりましたか?

楢崎 キーパーなので、そう変わんないですよ。でも前は、フランス代表のバルテズという選手のようにやれ、と言われることもあって……すごくいい選手なんだけど「俺は俺やねん」って。

渡辺 監督とか指導者が変わると、楢崎さんのプレースタイルは変化することもあるんですか?

楢崎 監督によって求めるものが変わるんでしょうけど、それをこなしつつも、自分のスタイルは崩さないのが理想ですね。

渡辺 自分のスタイルが見えてきたのは、いつ頃なんですか?

楢崎 キーパーコーチから本格的な指導を受けたのが、プロに入ってからだから、それから自分の基本的なところを築けたと思います。

渡辺 キーパーコーチという方がいらっしゃるんですね。

楢崎 はい。技術的なこともそうですけど、心理的な部分もケアしてくれるので、大きな影響を受けますね。面白いのは、キーパーコーチが南米出身かヨーロッパ出身かで、練習のスタイルが違ってるんです。南米スタイルは「数をこなす」からきつくて、ヨーロッパスタイルは「ひとつひとつ進んでいく」という感じです。基本は一緒なんですけどね。

渡辺 メンタルの部分でもアドバイスが違いそうですけど・・・・。

楢崎 国の違いよりも、その人が実際にキーパーだったかどうかが大きいです。

渡辺 キーパーにはキーパーにしか分からない部分がある。

楢崎 そんな感じがしますね。例えば、ミスをしたとして、何が原因でミスが起こったのか、すぐに理解してくれる。ほかの人が見たら分かりにくいんやろうけど。

渡辺 先日のワールドカップでも、ほかの国のゴールキーパーを同じポジションの選手として見ていたんですか?

楢崎 有名な選手がポカせえへんかなぁと思って見てましたよ(笑)。

渡辺 それを見てちょっと安心する、みたいな(笑)。

楢崎 はい(笑)。

渡辺 やっぱり、ワールドカップというのは特別な舞台なんですか?

楢崎 国の期待を背負って、特に今回は日本での開催だったし、プレッシャーはすごく違いましたね。期待に見合ったプレーをしないといけないっていうね。4年間かけて準備してきたのは、その本番のためだし。もちろん、Jリーグだから気を抜くというわけではないけど、特別な大会でしたね。

渡辺 応援する側も、あれだけ一つになって……サッカーって本当にすごいって思いましたね。

楢崎 自分たちもビックリしましたよ。試合に行くバスの中から見てると、沿道で「わぁー」って応援してくれる人の数が、日に日に増えていくんですよね。「これはスターやな」って(笑)。

渡辺 でも、あれだけのエネルギーの中で試合をするのは、ものすごいプレッシャーだったと思うんですよね。

楢崎 グラウンドに入ってしまえば、見える景色とかはあまり変わんないですよ。声援が大きいとは感じましたけど。

渡辺 グラウンドに入るまでは、どんな気持ちですか?

楢崎 今までの良かったプレーを思い出したり、試合でこんなプレーをしようとかイメージします。でも、ミスしたことを思い出して「これはあかん」とかやってる(笑)。

渡辺 邪念が(笑)。

楢崎 はい(笑)。

渡辺 2002年は、ワールドカップがあって、ご結婚もされて、いろいろあった年だったと思いますが・・・・。

楢崎 ワールドカップに出場して決勝トーナメントまで進むという目標を達成できたのは良かったですけど、グランパスでJリーグのタイトルを取りたいというのもあって・・・・。

渡辺 心残りが・・・・。

楢崎 ありますね。だから、良かったとは言えないし、悪かったとも思わないし。でも、また目標をちゃんと持てるので頑張りたいですね。

渡辺 じゃあ2003年は・・・・?

楢崎 まずはチームがリーグ優勝すること。個人的には高いパフォーマンスを安定して出せるようにするというのが目標です。ワールドカップで注目された分、Jリーグも観られるようになるから、それに見合うプレーをしたいですね。

渡辺 お客さんが試合に足を運んで、そして面白いプレーを観ることができたら、また来ようって思いますよね。

楢崎 そのためには、まず選手がちゃんとしないと。だから、僕も2003年は頑張りたいと思います。

「ATHRA(アスラ)」
出版社:毎日コミニケーションズ
連載タイトル:「CHECK UP!!」

03-2003/2月号・・・第3回・杉山愛さん
プロ転向後、
着実に世界のトップクラスへと
駆け上がった杉山愛。
一見すると順風満帆。
しかしその実、悪戦苦闘の日々が続くこともあった。
それを乗り越えた今、
杉山愛は新たなステージへのスタート台に立つ。

杉山愛●1975年7月5日、神奈川県出身。
7歳から本格的にテニスを始める。
15歳の時に世界ジュニアランク1位となる。
1992年にプロ転向後、2000年全米オープン女子ダブルス優勝など
世界のトップクラスで活躍。
世界ランク、シングルス24位(2002年12月2日現在)

渡辺 年末から、また遠征に行かれるそうですけど、遠征というとどのくらいの期間になるんですか。

杉山 スケジュールの組み方とか、その遠征によってかなり変わってきますけど、今回のオーストラリアは短めで1カ月です。

渡辺 短めで1カ月? 長いとどのくらいになるんですか。

杉山 今までで一番長かった遠征は5カ月です。その時は気が狂いそうになって、2度とやらないと誓いましたけど(笑)。

渡辺 スケジュールの組み方はどうやって決めるんですか。

杉山 世界のトップ50に入る選手は、まず8月のUSオープンのときに、翌年のだいたいのスケジュールをWTA(女子テニス協会)に提出するんですね。全豪、全仏、全英、全米の4大大会を軸に、その前哨戦とか自分が出たい大会に申し込むという感じです。私は選手の中でも大会に出場する回数が多い方で、年間26から28大会、約32週は試合に出ています。

渡辺 32週!? 8カ月も試合に・・・・。

杉山 そうですね。その前後の移動もありますから、だいたい10カ月、海外にいることになります。

渡辺 試合に集中するのが一番大切だけど、移動のための荷作りをしたり、食事を考えたり、いろんなことに気を配るから大変なんじゃないですか。

杉山 「これが私の生活なんだ」って考えるしかない状況ですね。5、6年前にシステムが変わって、試合に多く出ることがランキングに有利になったんです。私も必然的にたくさんの試合に出ることになりました。それと、私の場合シングルスとダブルス両方に出場するので試合数もかなり多くなります。初めはすごく大変だなぁと感じましたけど、ここ最近は、それを当然と感じられるようになって、試合に自然体で臨めるようになりました。

渡辺 自分に合ったペースを作ることができるようになったということですか。

杉山 そうですね。あとは、母がコーチとして一緒に回ってくれるので、精神的に大きなヘルプになっていると思います。ほかの選手を見ても、家族の誰かがコーチだったり、家族のように信頼できる人と一緒に回っているケースが多いですよ。独りの選手もたまにいるんですけど、信じられないというか、タフだと思いますよね。私はとてもじゃないけどできない。

渡辺 肉体的にも精神的にもすごくタフじゃないといけない……私はプロテニスプレイヤーにはなれないな(笑)。それだけ移動があると、行く先々を自分が安らげる場所にする術を見つけなきゃいけないんでしょうね。

杉山 コートに立っているのは1日のうち数時間だから、それ以外をいかに自分らしく過ごせるかが、遠征を楽しく回るためには大切ですね。

渡辺 杉山さんの場合は、どんなことをしているんですか。

杉山 映画を観たり、お買い物に行ったり・・・・。試合に勝っていると、そう時間も取れないんですけど、負けて練習だけになってしまった時は、ゴルフを楽しんだりもします。スイッチのオン・オフというか「やる時はやるけど遊ぶ時は遊ぶ」という切り替えがうまくいくと、テニスもうまくいくんですよ。それが多分、自分に合ったリズムなのかなぁと思いますね。

渡辺 ジュニアの時代から世界のいろんな場所で戦ってきたと思うんですけど、オン・オフの切り替えは、その頃からできてたんですか。

杉山 母が、昔からメリハリのある生活をさせてくれてたんです。例えば夏休みに、試合が終わった次の日からは別荘に遊びに連れていってくれるとか。そんな生活のリズムが、知らないうちに身についていたんだと思います。

渡辺 「テニスだけ」の生活ではなかったんですね。

杉山 小さい頃は、いろんなスポーツをやっていて、その中の一つがテニスでした。

渡辺 ほかには何をやっていたんですか。

杉山 フィギュアスケートとかクラシックバレエとか・・・・きれいなコスチュームに魅せられて(笑)。

渡辺 小さい頃は、まず「形」に魅かれますよね(笑)。でも、その中で、なんでテニスを選んだんだろう。

杉山 小さい頃は、試合に出ることがあまり好きじゃなかったんですよ。それよりも、クラブには同じくらいの歳の子がたくさんいて、みんなでワイワイしながら一緒に練習する雰囲気がよかった。それと、試合の勝ち負けより「ボールを打つ感覚」そのものがすごく好きなんです。

渡辺 意外な感じ。小さい頃から強くて、周りから褒められたりとか、勝つ喜びを知ったから続けたのかなと・・・・。

杉山 「一番になりたい!」って意欲を燃やした記憶は全然ないです。ただ、ボールの打感が好きだったり、コートを走り回ることが楽しかったり。できなかったショットができるようになると、それがすごく嬉しかったりして

渡辺 テニスを好きな気持ちは、今までずっとキープしてきたんですか。

杉山 一度も「やめたい」と思ったことがなかったんですよ。でも、23歳の時にケガをしてしまって……捻挫だから大したことないんですけど、ジュニアの頃からずっと健康体でやってきたんですね。だから、捻挫が治ってもなかなか思うように動けなかったりして、フラストレーションがすごく溜まって……そこから抜け出すまでに長いことかかってしまった。自分の思うようなテニスができなくて気持ちが沈んでしまった時もあって、24、25歳の頃、何度か辞めたいなって思ったことがありました。

渡辺 その頃がいわゆる「スランプ」の時期だった?

杉山 スランプといいながらも、その時なんですよね、USオープンのダブルスで優勝したのが。だから周りからは「スランプ」とは見られなかったと思います。でも自分では、なかなか思うようにできていないと感じていて、葛藤というか複雑な気持ちでしたね。

渡辺 その年頃は、誰もが迷う時期ですよね。

杉山 母も「誰もが通る過渡期だ」って言ってましたけど、私は「遅い反抗期」だったかなって(笑)。母に対しても心を閉ざしてましたから。で、余計苦しくなって自分を追い込んでパニックになって・・・・。

渡辺 そんな時に、ダブルスでいい成績を残せたのは?

杉山 ダブルスとシングルスの大きな違いはパートナーがいるかいないか、ということです。私は、ジュリー(・アラール・デキュジス)という、いいパートナーに出会えたのが第一ですね。コートの中でも外でも話し相手がいて頼り合って、パートナーシップがうまくいってた。

渡辺 そして、ダブルスで世界のトップになって・・・・。

杉山 いま考えれば、とても名誉なはずなのに、その時は嬉しさを味わうことができなかった。自分の中で、何か納得できないものがあったんでしょうね。

渡辺 気にしないようにしようとか、忘れようとするんじゃなくて、ちゃんと悩まないと前に進めない時って、ありますよね。それから今になって、何か変わってきましたか。

杉山 母に「いい時もあれば、悪い時もある。それを克服できなければ、何をやってもうまくいかない」と言われて、その言葉が自分の中に、自然にスッと入ってきたんです。実際、テニスをそのまま諦めることはできないし、だったらテニスを通して自分探しをしようと思って。それから、少しずつですけど、自分のスタイルが分かってきて、コートの上でも楽しめるようになりましたね。

渡辺 外国の選手とコミュニケーションをとる機会が多いと思うんですけど、彼女たちから刺激を受けることはありますか。

杉山 すごくありますね。日本は、ほかの国と比べて本当に恵まれてると思うんですよ。用具とかスポンサー契約に関してとか。そういう意味で外国の選手はシビアで、テニスを「仕事」として捉えているんです。

渡辺 そんなに違うものなんだ。

杉山 例えばロシアだと、普通の大人で、月に稼ぐのが1万円程度なんだそうです。そんな国の選手が家族のために家を建てたいと思ったり、家計を支えているという話を聞くと、「自分にとってのテニスとは何なのか」って考えさせられますよね。私にとってのテニスは、プロとして稼げて、自分を表現できる唯一の場所だと思えるのも、海外の選手とのコミュニケーションによって気づかされたからだと思うんです。

渡辺 先日の新聞でもコメントされていましたが、「テニスは自分を表現する場」という言葉が、とても印象的ですよね。確かに、どんなスポーツでも表現の場だと思うんですけど、改めて聞くと新鮮で、杉山さんにとってテニスをすることが、「自然な形」なんだろうなって思うんです。

杉山 そうなんだと思います。うん。

渡辺 選手同士って、もちろん時には「敵同士」だったりするわけですよね? そうするとコミュニケーションをどう取っていくんですか。

杉山 皆さんが思うような「ピリピリした雰囲気」では決してないんですね。特にトップクラスになると、お互いを認め合っているので、オフコートでは仲がいいんです。

渡辺 プロになったばかりの頃は、どうでした?

杉山 最初の2年くらいは、誰も私のことを知らないし、その場に慣れなくて「居心地悪いな」って思ってました。でも自分のランキングが上がっていくと、同時にいろんな選手と知り合って、仲のいい友達もどんどん増えていきました。それが、私がツアーを長く回っていられる理由の一つでもあると思うんですけど、選手との意見交換は本当にためになるというか、学ぶことがたくさんあります。

渡辺 杉山さんもトッププレイヤーですが、客観的に見てトップの選手は何が違うんですか?

杉山 特にトップ10の選手はまた違いますよね。トップに上り詰めるための努力をしてるのは当然ですが、すべての物事に対する考え方が前向きで、精神的にとても強いですね。それ以外にも何かオーラのような特別なものがあるなぁって感じます。

渡辺 何だろう? 技術でいえば、50位以内ともなれば、そう変わらないですよね?

杉山 紙一重です。違うのは、メンタル的な強さと考える力ですよね。それが本当に大きい。それは逆に、誰にでもチャンスがあるとも言えると思うんです。今は、選手の層がすごく厚くなってきていて、ランクが2ケタの選手がトップ10を破ってもおかしくない。それだけ激しい中での戦いになってきてると思いますね。

渡辺 そうするともちろん、杉山さんがトップ10に入ってもおかしくないですよね。

杉山 そう思いたいですね(笑)。

渡辺 杉山さんの場合、トップクラスに上がった時に、何かが変わったという意識はあったんですか。

杉山 私の場合、勢いでトップ30くらいまで上がってきて、その位置にいるのが長いので(笑)……何が変わったんだろう。何かが変わったというよりも、常に長期、中期、短期のプランを立てて、一つずつ確実にステップアップしてこれた、という実感はあります。

渡辺 その位置に変わらずにい続けることも難しいですよね。

杉山 そうですね。もっともっと上を目指してますけどね。

渡辺 どんどん新しい選手が出てくる中で、ずっとトップクラスにいることは大変だと思うんですけど……何が必要なんでしょう?

杉山 「できる」って自分を信じられることが一番大切だと思います。「ダメだ」なんて思ったら落ちるのは本当に早い。それと、「できる」と思えるように、実際に、技術的に体力的に精神的に何が足りないのかを自分が感じて、周りと話し合ってトレーニングを組み立てていくことが大切だと思いますね。少しずつでもいいから、レベルアップしていくために「どうしたら良くなるか」を常に考えてます。

渡辺 ちょっとした疑問でもクリアにしていかないといけない。

杉山 本当にその通りですね。「臭いものに蓋をする」こともできるけど、傷ができたら、痛いけどグリグリ消毒して何が悪いのか突き詰めていかなきゃいけない。辛い時もありますけど、周りにサポートしてくれるメンバーがいるので、戦っていられると思います。彼らとの意見交換を大切にしたいですね。

渡辺 ここ最近、トレーニング方法は変わってきたんですか。

杉山 テニス界では、ここ数年「パワーテニス」が台頭してきてるじゃないですか。それに対抗するために、外国人選手に比べると、もともとパワーがある方ではない私は、基本的なパワーを身につけることはもちろん、フットワークなどを生かしたテニスをしていかなきゃいけないと思うんです。そのために2000年頃から「強くて、しなやかな体づくり」を始めて、いろんなトレーニングにトライしたんですが、今年の初めに「これかな」と思えるものに出会えたんです。バランスをとって体のコアを使って、しなやかな動きができるようにする、というものです。

渡辺 今年に入ってからなんですね。

杉山 はい。今までは感覚だけでやってきて、動きのメカニズムに興味が出てきたのは今年に入ってからなんです。恥ずかしいことに(笑)。

渡辺 感覚だけでも、できていたんでしょうね。

杉山 あぐらをかいてた部分もあります。それが、ウィンブルドンの自分の試合をビデオで見て変わったんです。自分としては納得できた試合だったんですけど、客観的に見たら全然ダメでショックでしたね。

渡辺 ゴルフをしてて、自分では「タイガーウッズ」くらいな気持ちなんだけど、全然違ったりする(笑)。

杉山 そうそう(笑)。

渡辺 でも、私は素人だからギャップが分かるけど、すでにトップレベルにいるのに、「ダメだ」って思えるのがすごいですよね。

杉山 「もういっか」って思ったら、そこで終わりますよね。「ダメだ」って思えるということは、その分まだ成長できる可能性があるということなので、ある意味嬉しいです。でも、自分のプレーに納得できるかどうかは、その時の気持ちが大きく左右すると思うので、これからは理論と感覚を合わせてやっていこうと考えてます。

渡辺 これから、どんな選手になっていきたいですか。

杉山 プロになってから変わってないんですけど、私のプレーを見て勇気や元気を持ってもらえたらすごく嬉しいので、皆さんの前で元気なプレーをしたいですね。それと、なるべく長くコートに立っていたいです。その点、いまは30歳になってから伸びる選手もたくさんいるので励みになりますね。今年の全米で(ピート・)サンプラスと(アンドレ・)アガシが決勝で戦ったのも、いい刺激になりましたし。

渡辺 次はオーストラリアから、またツアーが始まるんですね。でも、今年に入ってやっとスタートに立ったという感じがするのは、今後がすごく楽しみですね。

杉山 はい。やっと本当の意味で自分自身を探っていく面白さを発見できたっていう感じですよね。なんで今まで、もっといろいろ考えずにやって来ちゃったんだろうって思いますけど、「やっとそういうレベルになったんじゃないの」って言われて、そうかもなぁと思いました。だから、本当にこれからが楽しみです。

「ATHRA(アスラ)」
出版社:毎日コミニケーションズ
連載タイトル:「CHECK UP!!」

02-2003/1月号・・・第2回・上村愛子さん
何も考えていなかった長野。
がむしゃらにがんばった
ソルトレイク。
そして2004年、トリノ。
新たなチャレンジが始まった
上村愛子の見つめる先は?

上村愛子●1979年12月9日、兵庫県出身。
中学2年でモーグルを始め、
3年で全日本チームに入る。
1996年、ワールドカップデビュー。
初出場で3位の快挙を遂げる。
1998年長野五輪ではテレビCM出演などもあり、
一躍全国的ヒロインに。
2002年ソルトレイクシティ五輪では6位入賞を
果たした。

渡辺  最近まで合宿だったそうですけど、期間はどのくらい行ってたんですか。

上村  フランスの山奥に3週間です。

渡辺  毎日滑ってた?

上村  最初は「3日滑って1日オフ」っていうスケジュールを立てたんですけど天候のせいでオフが潰れたり。なんだか大変でしたね。

渡辺  トレーニングの日は、1日じゅう滑ってるんですか。

上村  朝から昼まで2、3時間滑って、ご飯を食べる。午後は、また2時間くらい滑って、山を降りた後はジムに行って…1日じゅう運動ですね。

渡辺  けっこうハードですね。

上村  楽しくないですね(笑)。

渡辺  「フランスの雪山」って聞くと、「リゾートな感じ」を想像するんだけど。

上村  「いいなぁ!」って、よく言われますね。「代わりに行ってきていいよ」とか思うんですけど(笑)。

渡辺  フランスだろうが長野だろうが「どこでも同じ」みたいな。

上村  とにかく「山」ですからね。お買い物もできないし、ご飯も「そこそこ」だし。

渡辺  行く場所は、雪の質だとか滑りやすさを考えて、時期によって変わるんですか。

上村  そうですね。日本が夏の時期はニュージーランドへ行ったりとか。

渡辺  長い期間、休むことはあります?

上村  春ですね。3月でシーズンが終わって、それから5月までの2カ月間。でも今年は、いつもよりだいぶ遊んでましたね。オリンピックが終わったから。

渡辺  オリンピックに向けてガァーッと集中してトレーニングをしてきたと思うんですけど、急に時間が空くと、何をしていいのか分からないってことはないですか。

上村  最初はあれこれ考えてたんですけど、結局、何をすればいいか分かんなくなって、ぐうたらしちゃいましたね。途中で、スポーツ選手だからとか関係なく、普通に生活している人として「これはいけないなぁ」とは思ったんですけどね(笑)。

渡辺  でも、またすぐに練習に戻るという気分でもなかった?

上村  今年はずっと休んでいたいなぁと思ってました。でも、夏にカナダに行って滑った時に、やっぱり楽しいなぁと思って。

渡辺  プライベートで行ったんですか。

上村  個人キャンプです。だから、やっぱり練習したんですけどね(笑)。

渡辺  4年前の長野オリンピックで活躍したから、もちろん実力でも注目されるし、ルックス的にも「スター」として視線が集まるじゃないですか。だから、モーグルという競技を知らない人でも「上村愛子」という存在は知っている。それって聞くまでもなく、ものすごいプレッシャーなんだよね?私なんか想像もつかないけど。

上村  相当でしたね。長野の時は本当に何も考えていなくて、自分の実力が相応のレベルに達してないと思っていたから、周りの期待も「ただ勝手に言ってる」くらいで、全然気にならなかった。それが、ソルトレイク前のワールドカップでシーズン総合2位になっちゃったんですよ。それがすっごいプレッシャーになって。「やってしまった」と思いましたね。

渡辺  次は「金」を取るしかないもんね。

上村  周りも自分自身も「2の次は、1しかないじゃん」って考えてしまう。怖かったですね。「失敗したらどうしよう」って。

渡辺  やっぱり滑りにも影響が出た?

上村  普段だったら考えない余計なことが頭の中でグルグル回ってました。周りばっかり気になってしまって。

渡辺  誰かに相談はしなかった?

上村  しなかったですね。ほかの選手だって自分のことで精一杯だから、邪魔しちゃいけないじゃないですか。コーチも私だけじゃなくチーム全体を見てるから。

渡辺  本番の前には吹っ切れたんですか。

上村  考えてても良くない結果ばかり思い浮かんじゃうし「行くしかない」って、スタートの時には全部忘れました。でも、その直前まではいっぱいいっぱいでしたね。

渡辺  そんな時は、何かにすがりたかったりするんだろうけど。

上村  本番直前になると、わりと集中できるタイプだから、「まぁどうにかなるだろう」とは思ってました。

渡辺  観てる側としては「今回は金メダルだろう」なんて勝手に思ってる。でも、試合後のインタビュー記事を読んだりすると、滑る本人が置かれた立場は、尋常じゃない世界なんだって気づかされました。

上村  周りが金メダルを期待することで辛くなることもあります。でも、応援してもらえなくなったら終わりだと思うから。

渡辺  以前お会いした時は、いわゆる「今どきのコ」という印象だったんですね。プレッシャーをまったく感じずに、すごいことをやっちゃうんだろうなって。

上村  自分でもプレッシャーを感じないタイプだと思ってたんですよ。でも、競技を続けていって「理想」が見えてくると変わるんですよね。自分が理想から遠い状態にあれば、練習とか試合を「やるだけ」なんですけど、理想がより具体的に見えてくると、それに近づこうとして、逆に怖くなってしまうというか。

渡辺  その感覚を味わったのは、ソルトレイクが初めて?

上村  そうですね。

渡辺  ソルトレイク前の新聞で読んだのが「ジーパンが履けなくなるかもしれないけど、メダルを目指して筋トレします」という内容の記事で、「本気なんだ、すごいなぁ」と思った。それまでは「やったらできちゃいました」なんて、あっけらかんと言ってしまうタイプなのかなと思っていて。

上村  そういうタイプだった(笑)。ワールドカップで総合2位をとったときも、特別な練習をしたというわけではないんです。だから、それより上を目指すなら、ちゃんとやらなきゃいけないだろうと思って。

渡辺  なるほどね。でも、そこで好きな服のことをあれこれ考えるところが「オシャレさん」でいいなって(笑)。

上村  ありがとうございます(笑)。今でもそれは思いますよ。例えば合宿に行くと筋肉がついて体重も増えるし、サイズが変わる。行きではけっこう余裕があるジーンズも、帰りはパンパンだったり。ショックですね。「やだなー」って思っちゃう(笑)。

渡辺  でも、4年後のトリノに向けて…。

上村  「4年後」ですね。今回のように、前のシーズンで調子が上がって、本番で下がるということだけはしたくないです。

渡辺  そのためには、どんなトレーニングをしていくんですか。まずは、体づくり?

上村  毎年、いろいろ試していきたいです。例えば今シーズンは、たくさん休養をとっていたから、この状態のままやったらどうなるのかとか。今までは本当に何にも考えないでやってきたから、どうすれば調子がいちばん良くなるかを知らないんですよ。ールドカップ総合2位の時は、実は、やる気のなかったシーズンだったし。いろいろと作戦を毎年変えていって、4年後にベストの方法を選べるようにしたいなぁと。

渡辺  今シーズンの大きい大会は?

上村  世界選手権があります。今度の2月。ソルトレイクと同じ場所でやるんですけど、あのコースってすごく辛いんです。ほかのコースより30?くらい長くて。普段滑っているコースだとゴールしているところが、ソルトレイクのコースだと第2エアーを飛ぶ場所だから、「ここからまだ下があるのか」って。今年はちょっとびびってますね。けっこう練習を休んじゃったし。

渡辺  でも、そんなに練習してなかったのに、コーチに誉められたって聞いたけど。

上村  そうなんです。先日のカナダで「楽しいなぁ」って思いながら滑っている時に言われましたね。

渡辺  それは、今までと何が違ったんだと思いますか。

上村  やらされてるんじゃなくて、自分から進んで滑っていたから、かな。

渡辺  それまでは「やらされてる」感があったんだ?

上村  周りの期待に応えたいのもあって、「とにかくやんなきゃ」っていう気持ちの方が強かった。それが、オリンピックが終わってから肩の荷が下りて、それで夏に滑ってみたら、「やっぱり楽しいなぁ」って。

渡辺  以前よりプレッシャーがなくなったというか、自信が出てきた?

上村  初めて期待を裏切った年だったんですね。だけど、その時の周りの反応に安心しましたね。

渡辺  どんな反応だったの?

上村  見捨てられると思ってたんですよ。今まで温かくしてもらっていたのが、急に冷めるんじゃないかと思って。

渡辺  「なんだ、ダメじゃん」って。

上村  そう。すっごく怖かった。滑り終わった瞬間、自分では「やったぞ」と思ったけど、結果が出なかったから…。でも、変わらず優しくしてくれて。だから、「自分の思うようにやってもいいかなぁ」って考えられるようになった。

渡辺  私の仕事、例えばテレビだと、舞台とかと違って観てる側からの反応がないのが怖いです。「良かったね」「ダメだったね」っていう反応を、なかなか肌で感じにくいですよね。良い悪いの評価が欲しいなって、時々思いますね。

上村  そういう面でスポーツはいいですね。すぐ分かりますから。私は人から「ポイッ」てされるのが大嫌いなんです。ちょっと弱虫なんですよね、そういうところ。

渡辺  大丈夫。私が、テレビを見ながらだけど(笑)、いつも持ち上げるから。

上村  ありがとうございます(笑)。

渡辺  そもそもモーグルを始めたきっかけは何だったんですか。

上村  一目惚れ。

渡辺  一目惚れかぁ。それまでもスキーはやってたんだよね。

上村  はい。アルペンをやってました。「モーグルやってみない?」って言われてるだけの時は「嫌だ」って答えてたんだけど、競技を目にしたら、一目惚れしてましたね。

渡辺  私、正直言って、里谷多英さんとか上村愛子ちゃんが注目されるようになるまでモーグルを知らなかった。

上村  私も知らなかった(笑)。94年のリレハンメルオリンピックの1カ月前ですよ。初めて見たのが。で、リレハンメルで日本人の女の子がいるよって、それが里谷多英さんだったんですけど、彼女を見て、「超カッコいい!」と思ってから、本格的に始めるようになりました。

渡辺  同じように、多英さんとか愛子ちゃんの活躍を見て、「やりたい!」っていう若者とか子供が増えたんじゃないですか。

上村  「ぜひやって!」って感じですね。

渡辺 モーグルって、まずビジュアルがいいでしょ。格好がオシャレだったり体の動きが楽しかったり。あとは、音楽がかかってて「ノリ」が若い人と近い感じがする。

上村  「見ていて楽しい」って言われるのは、本当うれしいですね。私も見た目と、競技のやり方に惹かれて始めたんです。なんかノリがアメリカっぽいんですよね。「行ってしまえ!」みたいな。私は、もともと後先考えず行動する性格だから(笑)。

渡辺  スキー以外のスポーツは?

上村  スキーだけなんです、本当に。スノーボードもダメ。

渡辺  私ね、雪の上のスポーツって本当にダメなんです。ダメっていうか、もう嫌い(笑)。雪の上だと、手をついても止まらなくて、思わぬところに滑って行ったり。初めてスキーをやった時に「こんなもの二度とやるか」と思った(笑)。それと、何回も転ぶでしょ。そうすると、いつも脳みそが「ブルブル」って揺れる感じがして「私の人生終わったかも…」と思って(笑)

上村  あはは。私が初めてスケボーをした時は、ボードに足を乗せて漕いだ瞬間に転んで「もうやらない」と思った(笑)。それから2年後くらいに、またやってみたんですけど、一度スネを「ガンッ」てぶつけてやめました。痛いのダメなんですよ。

渡辺  モーグルはどう?痛くないの?

上村  あまり転ばないから。歩いているのと一緒なんです。板を履き始めたのが3歳とか4歳ですからね。

渡辺  「三つ子の魂百まで」ってやつね。

上村  スキー以外で、何か得意なものが欲しいんですけどね。

渡辺  何か趣味はある?

上村  買い物と料理と散歩。

渡辺  料理も趣味なんだ。意外(笑)。

上村  米を炊飯用土鍋で炊いたりします。この前、電話してて焦がしましたけど(笑)。

渡辺  得意な料理は?

上村  パスタのアラビアータ。あとは、めんどくさいカレーライス。

渡辺  どういうカレー?

上村  チキンをヨーグルトにつけたり、スパイスをあれこれ調味したり。

渡辺  ちゃんと一から作るんだ。

上村  あとは、オムライス。

渡辺  でも卵を巻くのは難しくない?

上村  よく失敗しますけど(笑)、卵が切れたところにケチャップで名前を書いて、「まぁいっか」みたいな。味はあまり失敗しないですよ。

渡辺  いつお嫁にいっても大丈夫だね。

上村  あんまりダメかもしれない。作りたい時だけ作るから続かないんです(笑)。

渡辺  スポーツ選手としては、体が細くて小さいよね。

上村  よく言われます。外国人の選手には「赤ちゃんみたいだ」って頭を撫で回されます。

渡辺  モーグル選手としてはどうなの?

上村  機敏な動きができるのはいいけど、迫力負けしますね。170?もある選手と比べてしまうと。

渡辺  小さい体でダイナミックさを表現するコツみたいなものはあります?

上村  「エアー」をバカでかく飛ぶことですね。面白いのが(下から競技を見たときに)ジャンプ台の手前で、背の高い選手なら姿が見えるけど、私だと一瞬消えるんです。「いなくなった。あ、出てきた」って。

渡辺  意表をつく(笑)。

上村  でも、ルールが変わって、すごく難しくなってきてるんです。でかく飛ぶだけじゃダメで、今シーズンは回転する方が評価されたり。回るの苦手なんですよね。この前、思いっきり転んで、むち打ちでひどかった。もう嫌だと思った(笑)。

渡辺  苦手な痛みが(笑)。でも、それに対応していかないといけない。

上村  最終的に回転もできないと、モーグルで通用しなくなるかもしれない。でも、だからといって小さく飛ぶことはできないですね。高く飛ぶ楽しさを知ってるから。

渡辺  愛子ちゃんらしさを出して、頑張って欲しいですね…って、頑張ってると思うんだけど、何ていうのかな、こういう時にかけられて嬉しい言葉ってある?いつも思うんだよね。何ていえばいいかなぁって。

上村  こんなふうに対談をさせてもらったり、私がやっていることを分かってもらったうえで「頑張って」っていわれるのは、すごく嬉しいですよ。

渡辺  これからトリノを目指していくと思うけど、その先はまだ考えられないよね?

上村  まだ全然考えてないけど、スキーをやめたら勉強をしようとは思いますね。

渡辺  勉強?

上村  服のデザインとか。ほかにもやりたいことはいろいろあるけど…。

渡辺  とりあえず今は、4年後のことだけを考えてる。

上村  そうですね。トリノの次を目指したらもう30歳ですからね。だから、トリノが最後かなって思ってます…ちょっと、焦ってきたな(笑)。

渡辺  期待してます。頑張ってください(笑)。

上村  ありがとうございます(笑)。

「ATHRA(アスラ)」
出版社:毎日コミニケーションズ
連載タイトル:「CHECK UP!!」

01- 2002/12月号・・・第1回・小比類巻貴之さん
狂気とも思えるトレーニングの話から、自身の手料理、
はたまた犬の散歩まで…。
しばしば表現される
「ストイック」という言葉だけでは語れない、
小比類巻貴之の素顔に迫る

小比類巻貴之●1977年11月7日、青森県出身。
1997年1月のデビュー戦からすべてKOで5連勝を飾る。
2000年11月ISKA世界スーパーウェルター級王者となる。
今年から不屈の「サムライ魂」を学ぶべく黒崎道場に入門。
さらなる進化を目指す。
通算戦績、34戦22勝(18KO)10敗2分。
身長180cm、体重70kg。

渡辺  初めてお会いしたのが、97年でしたよね。テレビの番組でタイに行った時に、日本人でムエタイに挑戦している人がいるというので取材させていただいたんですけど、ゆっくりお話する時間もなくて。

小比類巻  そうですね。話をしたのはカメラが回っているときだけで(笑)。

渡辺  (笑)。タイでお会いした後は、小比類巻さんが試合してる姿をテレビで見かけると、「あっ、コヒ出てる、出てる!」ってすごく嬉しくなってたんですよ。1回しか会ってないのに「コヒ」とか呼んで(笑)。今では、あれよあれよという間にすごい選手になっていて、勝手に母親のような気持ちで感慨もひとしおですね(笑)。

小比類巻  ありがとうございます(笑)。

渡辺  当時は頭が金髪だったり見た目が「今どきの若者」だったんですけど、今の小比類巻さんといえば「ストイックな選手」という印象ですよね。

小比類巻  今年から黒崎道場に入門したんです。それから生活のすべてが変わって、「今どき」じゃなくなりました(笑)。

渡辺  生活はどう変わったんですか?

小比類巻  基本的に、道場にずっといます。1日の大半は練習をしてますね。

渡辺  以前は遊ぶ時間もあったんですよね。でも急に、180度変わってしまった・・・・。それは自分で望んだことなんですか?

小比類巻  そうです。おかげで、ちょっとですけど、強くなった実感を持てるようになりましたし・・・・。

渡辺  「強くなる」ってどういうことなんですか?例えば技術力が上がるとか。

小比類巻  多少ですけど、耐える力がついてきた。

渡辺  耐える力?

小比類巻  肉体的にも精神的にもきついことを我慢できるようになったというか…。

渡辺  こんなのは耐えられないって思ったことはあります?

小比類巻  それはないですね。

渡辺  でも、聞いた話だと150キロもあるリュックを背負わなければならないとか。

小比類巻  今は、150キロを背負って10分くらいは歩けるようになりました。

渡辺  すごい!

小比類巻  最初は70キロからスタートして2時間半くらい歩けるようになって、そして150キロに挑戦しました。できないって最初から思っていたら何もできないと思うんです。

渡辺  黒崎道場に惹かれたのは、どうしてですか?

小比類巻  キックボクシングの世界で一番厳しそうな道場だったからです。

渡辺  なるほど。じゃあ、怒られることも多い?

小比類巻  怒られてばっかりですね。

渡辺  誉められる時ってあるんですか。

小比類巻  ほとんどないです。

渡辺  でも、怒られてばかりだと、ちょっと誉められただけでも、すごく嬉しくなったり、やる気になったりしませんか。

小比類巻  そうですね。例えば、腕立て伏せを最初は70回くらいしかできなくて、それが100回、200回、300回ってできるようになった時、「お前、結構パワーついてきたな」って突然おっしゃってくれて・・・・その一言が泣きたくなるくらい嬉しかったです。

渡辺  それは嬉しいですよね。

小比類巻  あとは普段の生活での「気遣い」ができるようになった時に誉められたりしても嬉しいですね。

渡辺  闘うことだけじゃなくて、日常生活から教えてもらってるんですね。ご飯を食べる時には、うまそうに食べなきゃいけないっていう話も聞いたんですが・・・・。

小比類巻  そうなんです。練習が終わった直後は食べたくないんですけど、まずそうに食べると怒られます…。でも、そういう小さなことを一つひとつ我慢して慣れることができれば、強くなるというか耐える力がつくんじゃないかと思うんです。

渡辺  そもそも、どうして格闘技を始めたんですか?

小比類巻  喧嘩に強くなりたいというか、男っぽく生きたいなと思って、空手を始めました。で、プロの格闘家の試合を見てから、リングに立って感動的な試合をしたいという気持ちも出てきたんです。

渡辺  でも、何がそこまで駆り立てるのかな、って不思議なんです。単純に辛いじゃないですか、練習から何から。それに、結局は結果だけを見られる世界で、それでも前に進まなければならない。スポーツは全般的にそうでしょうけど、格闘技は倒すか倒されるかが顕著で、特にタフじゃなきゃやっていけないと思うんです。

小比類巻  辛いことはいっぱいあります。でも・・・・やっぱり好きなんでしょうね。強くなりたいというか・・・・。

渡辺  好きだからか・・・・すごいシンプル。だけど、常にモチベーションを上げなきゃいけないのは大変ですよね。私は1年半くらい前からジムトレーニングを始めたんですね。それまで運動には縁がなかったんですけど、やり始めたらすごく楽しくて。「こう運動すると筋肉はこう答えてくれるんだ」って、体の反応が分かるようになって、それまで興味がなかったんだけど、体ってすごく大切だなぁって気づいたんです。でも、続けていくうちに、やっぱり面倒くさいと思ってしまうこともある。趣味程度のことでも、モチベーションを上げていくのは大変なんですよ。

小比類巻  そうですね。楽しむことができれば一番いいんだと思いますけど、そう簡単でもない。

渡辺  やりたくないと思っても、とりあえず行ってみようかなって思えるようにはなったんですけど・・・・。

小比類巻  体を動かしちゃえば、案外できるんですよね。ベンチプレスをとりあえず100回でいいから上げようと思って始めると、結局1000回やってる。

渡辺  レベルが相当違うけど(笑)、分かります。

小比類巻  あとは目標を持つことですね。

渡辺  小比類巻さんの目標は何ですか?

小比類巻  やっぱり、この階級(70キロ級)で世界一になることです。まだまだ、なんですけどね。

渡辺  以前お会いした時はムエタイに挑戦してたと思うんですけ・・・・…。

小比類巻  ムエタイはK-1と違って「肘打ち」もあって苛酷な競技なんですが、その世界でも一番になりたいですね。

渡辺  体重を落とすのは大変じゃないですか?イメージするのは、水も飲んじゃいけないとか。

小比類巻  それは失敗なんです。急に体重を落とすために、何も口にしちゃいけない状況になるんですけど、要は、何週間も前から徐々に落としていけばいい。自分の場合、普段は76キロあって、試合の2週間前には規定の70キロを切ります。その分、試合でも体調がいいんです。

渡辺  どうやって体重を落とすんですか?

小比類巻  とりあえず走りますね。

渡辺  どれくらい?

小比類巻  約11キロだから、ゆっくり走って1時間半。汗をかいても、そのまま同じペースで走り続けると汗が引くんですよ。そしたら「ガーッ」ってダッシュしてまた汗をかいて…その繰り返しですね。ご飯は、朝・昼・晩ちゃんと食べますよ。

渡辺  どんなメニューなんですか?

小比類巻  ご飯と味噌汁、あとは漬物と焼き魚と…たまに肉入リの野菜炒めを作るんですけど、脂っこいのは筋肉に良くないという話を聞くんで、肉はあまり食べません。

渡辺  巷では、サプリメントを摂るのが常識のようになってますけど・・・・。

小比類巻  風邪をひきやすくなったり、体の抵抗力が弱くなるので、今は摂るのをやめてます。代わりに、例えば骨を強くしたいならニボシを食べるとか。

渡辺  小比類巻さんが皆さんの食事を作るんですか?

小比類巻  作りますよ。当番は毎週替わるんですけど、特に朝の味噌汁は気合入れて作ります。朝起きて味噌汁がまずいと、先生にすごく怒られるんで(笑)

渡辺  休みの日は何をしているんですか?

小比類巻  髪を切りにいったり、喫茶店で漫画を読んでますね。あとは、ほかの道場の練習に参加することもあります。

渡辺  やっぱり練習好きなんですね(笑)。でも休むのも大切ですよ。練習しないと不安になるかもしれないけど。

小比類巻  でも、休みの日に外出してる時に、先生から電話がかかってくることもあります。昨日も新宿あたりに散髪に行ってたんですけど、髪をちょうど切り終わる頃に「戻ってこい」って連絡があって。

渡辺  彼女より厳しいんじゃない(笑)。

小比類巻  いや、人が多い場所だと風邪がうつる可能性があるからって…試合が近いので、僕の体調を気にしてくださってるんです。

渡辺  なるほどね。プリン(黒崎道場で飼っている犬)の散歩に行ったりはしないんですか?

小比類巻  毎朝行きますよ。そして、おしっこかうんちをしたら必ず報告します。で、「どんなうんちだった?」って聞かれます。

渡辺  プリンの体調もちゃんと管理しないとね(笑)。お休みがそうだとすると、練習日はトレーニングのメニューがしっかり組まれてるんですか?

小比類巻  メニューはあります。でも、やるのもサボるのも自分次第。基本的に練習は一人でやりますから。先生は、「強くなりたいならやればいい」というだけです。

渡辺  それが一番厳しいですよね。悪魔と天使が「サボっちゃえ」とか「やらなきゃダメだよ」とか心を葛藤させる。私は、筋トレする時はトレーナーについてもらうんですが、一人の時は「今日はだるいから、30分で終わろうかな」とか、すぐ言い訳を考えちゃうんですよね。

小比類巻  自分にも以前はトレーナーがついて時間を測ってくれたり、アドバイスしてくれたり、すごく楽でしたね。でも結局、リングに上がれば一人なんだから、それを考えると一人で練習するのは当然だって、今は思えるようになりました。

渡辺  それまでの練習方法をガラッと変えるのには勇気がいりますよね。

小比類巻  最初は、一人でやるとは思ってなかったんですよ(笑)。先生が木刀でも持ってガンガン鍛えてくれるもんだと思ってて、それに「耐えてやる!」って意気込んで入門したら、実は違ってた。それが、逆に辛かったです。

渡辺  挫折しそうになったことはないんですか?

小比類巻  今年5月の試合(『K‐1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦』)で負けた後に、すごく気持ちが落ちてしまったんです。「引退」という言葉が頭をちょっとよぎったり、夜中に窓を開けて星を見上げたりしました(笑)。ほんと、笑える状況でもなかったんですけど。

渡辺  そこから抜け出す方法というか、きっかけはあったんですか?

小比類巻  ・・・・とにかく苦しかったです。先生には怒られてばかりでしたね。「やる気あるのかよ」って。この道場には通いの練習生もいるんですけど、彼らの一生懸命な姿を見てパワーをもらおうとか、初心に帰ろうとか思ってもダメでした。なんでそこから抜けられたんでしょうね…。ただ、気持ちが落ちていても、練習をしまくるしかなくて、そしたらいつの間にか、またモチベーションが上がってました。

渡辺  その前後では、何か変わりました?

小比類巻  相変わらず練習は厳しくて体がきついけど…前よりも楽しくなりましたね。

渡辺  ご自身は精神力が弱いって言いますけど、やっぱり芯の強さがあるんでしょうね。

小比類巻  僕には、これしかないっていう気持ちがあって…。これをやめたら終わりだから・・・・。

渡辺  150?のリュックを背負うことができるようになったということは、肉体も確実に進化してるんでしょうね。

小比類巻  といっても、まだまだなんです。例えば、5月の試合の2回戦(対ガオラン・カウイチット戦)でアバラを3本折ってしまって、どうにも力が入らなくなった。今年に入って、体作りを一からやり直しているんですが、まだ完璧には程遠いです。

渡辺  肉体が完璧に近い状態に仕上がるのはいつ頃なんでしょう。

小比類巻  1年半はかかると思います。これまで摂ってきた食事が、体から完全に抜け切るのも含めてそのくらいですね。もちろん、それができるかどうかは「お前次第だ」って先生に言われてます。

渡辺  結局、自分次第なんですね。体力作りのほかに、技術的なトレーニングはどんなことをやっているんですか?

小比類巻  指導していただいてるのは、「ローキック」と「前蹴り」の二つだけです。ほとんどの人は、パンチもキックもすべて早く身につけようと練習するんですね。でも一応はできるようになるけれど、先生から見るとそれは「中途半端」でしかない。僕に必要なのは、一つひとつを確実に進めていくことです。だから、今は「技」の前に、とりあえず肉体を鍛えている段階です。

渡辺  試合が迫っているのに、不安にはならないですか?

小比類巻  ならないですね。ものすごく強い選手と対戦するなら違いますけど、今、表に出ているのは、僕も含めてなんですけど、中途半端な選手が多い。先日の試合も「世界一決定戦」とは思っていません。世界には、名前は売れてないけど、まだまだ怪物みたいなやつらがいっぱいいます。そいつらとまともにやり合うことができるようになることを目指したいですね。

渡辺  進化する姿を期待して見てます。はじめにお会いした時からは、きっとすごく変わっているんでしょうね。

小比類巻  変わってなかったらどうしよう(笑)。

渡辺  そんなことはないです(笑)。頑張ってください。